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水取司遺跡の碑 (みずとりつかさいせきのひ)

灌漑用水の管理にあたる人は、水取司と呼ばれていた。古い記録には饒速日命の六世の孫の伊香我色乎命の子孫である左京神別水取連(もいとりのむらじ)がはじめて水取に居住し、水取司の任にあたったことが記されている。水取の地名もこ…

水取小学校址 (みずとりしょうがっこうあと)

明治6年(1873)10月8日、多々羅・上(現在の普賢寺)・水取・天王の4か村の共同で水取小学校は開校した。 明治10年10月1日、天王は単独で継善小学校を開校させ、分離した。 明治22年(1889)4月に普賢寺尋常小学校、明治二十四年五月…

草内の渡し場跡 (くさうちのわたしばあと)

碑隠 昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会 十六の渡しともいう。河内・大和方面から普賢寺川沿いの道を経て、奈島・宇治田原に出る主要な渡しであり、草内と対岸の十六を結んでいた。 また、府道・国道の性格をもっており、市…

打田小学校分校跡

明治22年(1889)の町村制実施に伴い、水取小学校、継善校(天王)、打田小学校(明治7年開校)の三校を合併し、普賢寺小学校とした。そして、継善校、打田小学校は、その分校となった。明治25年には、普賢寺第一尋常小学校(水取)、普賢…

大神宮跡 (だいじんぐうあと)

田辺の浜船着場跡 (たなべのはまふなつきばあと)

碑隠 昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会 明治時代には各村に近い木津川岸に浜の問屋があり、これに荷物を頼んでおけば、定額運賃で船に積んで目的地に届けてくれた。鉄道開通までは伏見・大阪方面への唯一の物資輸送路であ…

田辺地名発祥の碑 (たなべちめいはっしょうのひ)

碑隠 平成九年三月吉日建之 田辺区 平成9年4月の市制施行を機に建立。 それまでの「田辺町大字田辺小字田辺」は「京田辺市田辺」となった。 「田辺」の地名は、室町時代の土豪・田辺氏がこの地に居城を築いたことによるといわれる。…

田辺町役場跡 (たなべちょうやくばあと)

昭和26年4月に田辺町・大住村・草内村・三山木村・普賢寺村が合併して田辺町となり、昭和30年7月にこの場所(田辺辻40)に本館木造2階建・付属建物平屋建の延べ212坪の役場が落成した。 この役場庁舎は増改築を重ね、昭和61年12月に新…

筒城宮伝承地 (つつきのみやでんしょうち)

同志社大学京田辺キャンパス内に「筒城宮址の碑」がある。1960年、遷都1450年を記念して、組織された「筒城宮跡顕彰会」により建立されたものである。 この辺り(興戸・多々羅・普賢寺など)は、第26代天皇、継体天皇の筒城宮があったと…

藤木の渡し

藤林普山の碑 (ふじばやしふざんのひ)

碑隠 昭和三年春 京都 三宅安兵衛遺志建之 寛政8年(1796)に16歳で京都に出て医学を学んだ。こののち稲村三伯の「波留麻和解」を入手して蘭学の研究を志し、これを携えて郷里に帰り、10年の歳月を費やして独学で翻訳に努力した。 普山…

日本最初外国蚕飼育旧跡 (にほんさいしょがいこくかいこしいくきゅうせき)

碑隠 昭和三年春 京都三宅安兵衛依遺志建之 この碑は、昭和3(1928)年京都に住む篤志家により建立されたものである。 多々羅には百済からの帰化人たちが豪族の奴理能美(ぬりのみ)を中心に住み、養蚕と絹生産を営んでいた。  …

能楽発祥の碑 (のうがくはっしょうのひ)

式内社の研究で独自の領域を示した志賀剛氏が記述した能の発祥の碑が境内にある。 酬恩庵から約100m西能楽は薪能即ち金春流に初まり、次に宝生能 観世能は大住に 金剛能は大和に発祥した  昭和60年11月文化日  文学博士 志賀剛

隼人舞発祥之碑 (はやとまいはっしょうのひ)

碑陰『この大住の地は奈良朝以前七世紀ごろから九州の大隅薩摩日向の三國隼人が移住して月読神社に奉仕したといわれ日本芸能の主流とされている 昭和四十七年四月に大住隼人舞保存会を結成した 昭和五十年十二月十九日に田辺町…

飯岡の渡し場跡 (いのおかのわたしばあと)

碑隠 昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会 玉水橋下流、飯岡の入口付近の木津川べりに千貫岩という大きな岩が露出している。ここから対岸の玉水に渡った。この渡し場は、月の名所でも有名である。玉水への目標といわれた榎の…

不違の池 (たがわずのいけ)

ある時、神功皇后の一行が旅の途中に訪れ、皇后はこの池の水で髪を洗い信託を受け、帰りにも立ち寄ることを約束した。そして皇后が約束を破ることなく帰路の途中に立ち寄ったので、この池は“不違の池”と呼ばれるようになった。  池の側…

富野の渡し場跡 (とののわたしばあと)

水量が豊富な木津川で、古代からあったとされる舟運。平城京や東大寺造営のときには木材の集積地として、また近世の鉄道開通まで、唯一の物資輸送路として賑わっていた。木津川には加茂から淀川合流点までの間に約16か所の渡しがあり…

舞ヶ辻跡 (まいがつじあと)

豊田翁の碑 (とよたおうのひ)

飯岡は木津川の千貫岬に大岩があるため、村人は旱天に悩み、洪水に苦しんでいた。豊田武兵衛はこれを憂い、宝暦13(1763)年に用水路計画に着手した。千貫岩は安永元(1772)年に打ち抜かれ、ここに万年樋が完成。残る工事は平坦部だけとな…

鉾立の松 (ほこだてのまつ)

この地には昔から鉾立の松があり、俗に「はらまつ」と呼んでいたが、昭和20年代に枯死した。伝説では、この鉾立の松は神功皇后がここを通過したとき、行列の鉾が並んだ最後の地点であったという。先頭は、ここより南1.1キロメートルの地…

 

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